井の中の蛙、大海を知るともがいて溺れ死ぬことが多過ぎる
井の中の蛙大海を知らず
という諺がある。
狭い世界のことしか知らずに広い世界を知らないという意味だ。
揶揄する時に使うような諺だけど
本当に井の中の蛙って悪いことなのだろうか?
例えば、絵が上手くて田舎で神童と呼ばれていた子どもがいたとする。
田舎は人口も少ないからちょっとだけ優れているくらいで神童と呼ばれる環境であることが多い。
その子は神童と呼ばれているうちに、自分は絵が上手くて才能があると思うようになっていく。
これが井の中の蛙という状態だ。
そのままその子はすくすくと成長していき、こう思うかもしれない。
「田舎を出て都会の絵を学べる学校に行こう」
井の中の蛙が大海に飛び込む瞬間だ。
入学試験で落とされまくる、或いは入学してから周りの同級生のレベルの高さに驚く。
その時に自分が神童と呼ばれていて調子に乗っていたことを恥じる。
世界はこんなにも広く、自分はただの凡人でしかなかったことを初めて思い知る。
だけど絵のことだけを考えて生きてきた自分は簡単には戻ることもできない。
結局、周りのレベルの高さに劣等感を抱きながらも絵を描き続ける。
どんな作品ができても
「周りの人たちと比べるとあんまり上手くないけどな……」と思って落ち込む。
その頃には絵なんて全く楽しくなくなってるはずだ。
周りと比べると下手だよなと思いながらも描いた絵を田舎の知り合いが見ると
「すごい!めちゃくちゃ上手いじゃん!」と褒めてくれる。
だけど、その言葉も上手く受け止められなくなるだろう。
自分は絵が上手いという自信をバキバキに折られて、凡人であるという事実を嫌という程見せつけられているんだもの。
それでも、神童と呼ばれた頃のプライドが許さなくて、半ば焦るように絵を描き続ける。
だけど、いくら頑張っても本当に上手い人との差は縮まらず、どんどん離されていく。
そしてある日、何もかもがどうでもよくなって頑張るのをやめる。
絵なんかもう2度と描かないと思い、全く関係のないやりたくもない仕事に就いて死んだように生きる。
これが幼い頃、田舎で神童と呼ばれた大半の人間の末路だと思う。
ここで最初の話に戻る。
井の中の蛙は悪いことなのだろうか?
狭い世界で生きていけば自分の自信は折れることもなく、大したことない凡人でも気持ちだけは神童のままで生きていけたかもしれない。
井の中の蛙が調子に乗って大海に出ても溺れ死ぬケースが圧倒的に多いのではないか。
最後に、井の中の蛙大海を知らずという諺の続きを紹介して終わろう。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。」
狭い世界の中で生きてるからこそ見える景色もある。
それを大切にする生き方の方が精神衛生上良いのかもしれない。