急に寒くなるのやめてほしい

今週のお題「急に寒いやん」


日本には四季がある。

小学校の授業で習った。

だけど、本当に四季はあるのだろうか?

春夏秋冬の割合としては

春、夏ーーーー!!あ、冬ーーー!!!


みたいな感じだと思う。


秋は本当に一瞬で過ぎ去って、長い冬が来る。

そんなイメージ。


冬になると朝起きれないし、コタツと一体化してしまうし、寒すぎて泣く。

ほんとつらい。

自慢じゃないが、僕は寒いのが苦手だ。

冬は友達から誘いを受けても

「寒いから無理」という理由で断るくらいには苦手だ。


ずっと秋くらいの気温で安定してくれ。

24時間お仕事マン

24時間お仕事マン「あわわわ……」


人「24時間お仕事マンさん!どうしましたか!?」


お仕事マン「あの仕事、やらなきゃ……早く進めなきゃ……」


人「えっ?でも、今はお仕事マンさん、退勤して家にいますよね?」


マン「そうだけど……気になって仕方なくて」


人「ははは、真面目ですねえ、今は勤務時間じゃありませんよ。

勤務時間外に仕事のことで悩んでも仕事は進みません。

それよりもゆっくり休んでください。

その方がまた明日からきちんと仕事ができますよ。」


マン「はっ……そういう考え方もあるのか!」


人「ずっと仕事のことで頭がいっぱいなんて24時間休みがないのとおんなじですよ。

しかも、家で悩んでも仕事は進まないので無駄に疲れるだけです。やめましょうよ。」


マン「うぅ……わかりました……」


こうして、24時間お仕事マンは消滅して、勤務時間にしっかり働く8時間お仕事マンが新たに誕生した。

家では仕事のことを忘れ、ゆっくり休む。

休日も仕事のことを忘れ、ゆっくり休む。

そして、仕事のときには色々と考えて頑張る。

8時間お仕事マンになってからの方が精神的にも安定するし、良いアイデアも浮かぶ。

仕事をしていない時間に仕事のことで悩むのは本当にやめた方がいい。

元24時間お仕事マンはそう語った。

目標進捗管理至上人間

目標を達成するために全ての物事を管理して計画的に進めていくこと、これが大切。


山田のモットーだった。

昔から山田はそうやって生きてきた。

目標を達成するために無駄なことは一切せず、最短経路で突き進む。それが1番だと信じて生きてきた。


小学生の頃、テストで良い点を取るためにテストの範囲をひたすら勉強していた。

テストまであと何日あるかを考え、常に計画して勉強を進めてきた。

成績優秀の山田は一流大学に進学した。


そして、計画的に就活を終え、一流企業に入った。


山田は常に自分の目標と、それに向けてやることを計画立てて管理をしていた。

30までに結婚したいと考え、女と付き合い、計画的なプロポーズをして、結婚した。

山田の目標は達成された。


32までに子どもが欲しかった。

山田は計画的な子作りに励んだ。

32の時に子どもが生まれた。


山田の目標は達成された。


40までには課長に昇進したかった。

山田は目標に向けて計画を立てて努力を続けた。

真面目にサボらず、日々的確に仕事をしていった。

山田はそして、また目標を達成した。


山田にはあまり友達がいなかった。

趣味もなかった。


でも、それでよかった。

仕事や学業が全てでそれ以外は無駄だと思っていた。


全てが順調だった。


それまでは。


山田が50歳の頃、子どもが大きな犯罪を犯してしまった。

山田は子どもの犯罪により会社内で不当な扱いを受けるようになった。

ずっと目標を決めて計画を立てて努力して達成しながら生きてきた山田にとって、努力してもなんともならないことにぶち当たってしまった。


妻は山田に言った。

「ずっと思ってたんだけど、あなたはまじめに頑張りすぎよ。少しはサボってみたらどう?」

これまでの山田ならそんな話は聞き入れなかっただろう。

ただ、どうにもならない状況だったから、気の迷いからかそういうのも良いかもしれないと思い、会社をサボって海を見に行った。


山田は朝にスーツ姿で海に向かう自分が信じられなかった。

これまでの人生で仕事や学校のサボりなんてものは一度もしたことがなかった。

サボりは目標達成のための遠回りでしかないと思っていた。


朝の海はキラキラと輝いていた。

海は悠然としていて、自分がいかにちっぽけか思い知らされた。

山田はいつのまにか泣いていた。

自分の努力でどうにもならない部分でうまくいかないということにぶつかった山田は生まれてから50年、初めて目標達成のため以外の無益な行動をした気がする。

だけど、それがこんなにも心地よかったなんて。

山田は自分のこれまでの人生を振り返ってまた泣いた。

目標達成することだけが人生じゃなかったんだ。と山田は気付いた。


海は哀れなおっさんを慰めるように、優しく光っていた。



人間は風呂に浸かると疲れが取れるように作られている説

めちゃくちゃ疲れてる時にお風呂に入るとすごく幸せになれる。


死ぬほど運動してカラダがボロボロになった時に入るお風呂は本当に気持ちが良い。

なんであんなに気持ちいいんだろうかってくらい。


お風呂の凄いところは、身体の疲れだけじゃなくて心の疲れにも効くというところ。

2年前、仕事ですごく嫌なことあって辞めたい気持ちでいっぱいになった時、夜中に温泉に浸かったら不思議と心が軽くなった。

仕事辞めたら温泉に入るお金も無くなってしまうと思うと、また明日から頑張ろうって気持ちになれた。


風呂にはいつも本当に心身共に助けてもらってる。

特に温泉は神。救い。全ての頂点。

ありがとう風呂。


今日は21時まで働いて疲れたけど、速攻で帰って銭湯に行ったら心なしか疲労が楽になった。

よし、また明日からも頑張ろう。





懺悔

これは僕が中学1年生の頃の話。


担任の先生はS先生という新卒の非常勤講師だった。

S先生は一昔前の学園ドラマにいそうな、熱血漢教師だった。


今となっては恥ずかしい話だが、中学1年生の頃、僕はグニャグニャに捻くれていた。

そういう時期だったのだろう、ひどく人間性が歪んでいた。


熱血なS先生を鼻で笑っていた。

「こいつなんなんだ、ウルセェなぁ」と思っていた。


授業中も常に大きな声で熱心に理科の授業をする。

運動会では声を張り上げて皆を応援する。


僕はそういう暑苦しいのが大嫌いな年頃だった。


6月くらいまでは特に僕はS先生と深く関わることはしなかった。

ところが、S先生がクラスの生徒たちの人気者になっていくと僕はS先生が鼻に付くようになった。


S先生の授業ではみんなが楽しそうに笑って、S先生もイキイキと授業をしている。

今だから正直に言えるけど、心の奥底では僕もS先生の授業を楽しんでいた。

とても分かりやすくて、何よりも生徒に理科の知識を楽しく伝えたい!という熱意が伝わってくるような授業だった。


ただ、ひねくれた僕は皆がS先生のことを好きだという状況で

「自分もS先生好きだよ!」と言えるような人間じゃなかった。

むしろ、周りには

「俺はあいつ嫌い」と言っていた。

本当はS先生のことが好きなのに。


生徒からドンドン支持を集めるS先生。

それにつれて、僕はS先生を嫌いという姿勢を激しく示していった。


8月頃に、遂に僕はやってはいけないことを始めてしまった。

S先生への嫌がらせだった。


S先生の授業の前には教壇の上にカッターナイフの刃をバラまいたり、チョークを全て折ったりしていた。

皆の人気者のS先生が困った表情をしているのが愉快だった。


時にはS先生の授業を聞かずに無視して別の勉強をやっていた。

「ほんと分かりにくい授業だな〜自分で勉強した方がわかるわ〜」みたいな態度を取りながら。

でも、S先生は僕に何も言わなかった。

中間テスト、期末テストなど今までの理科のテストで僕は満点しか取ったことがなく、クラスで1番理科の成績が良かったからだろう。

僕もS先生から何か言われたら

「あなたの授業は聞いてませんが、僕が理科のテストで満点じゃなかったことありますか?」と嫌味ったらしく言い返すつもりだった。


でも、本当は違う。授業を聞いていないなんてことはない。別のことをしながら盗み聞きしていた。S先生の授業は面白かった。

僕はS先生の板書をノートにまとめてテスト前に何回も復習していた。

僕が理科の成績が良かったのは間違いなくS先生の授業が上手いからだった。

事実、S先生が担当したクラスの理科の平均点は高かった。


本当に本当に最低だ。僕は人間の屑だ。



そんなことを続けていると、ある日授業前にS先生が怒鳴った。

今まで見たことがないくらい怒っていた。

「なんで授業前にチョークが全部折れているんだ!!誰がやったんだ!!◯◯!!わかるか!!!」

と僕に向かって怒鳴り付けてきた。

きっとクラスの誰かが先生にチクったんだろう。

僕は素知らぬふりで

「いや〜知りませんねー」と答えた。

それ以上、S先生の追求はなかった。

S先生を怒らせて僕は心の中でニヤニヤしていた。

怒るほど不快な思いをさせたことに対する愉悦だった。



そして、そんな時期に親を交えて話す面談があった。

僕はずっと俯いて話をしなかった。

親と先生が一対一で話すような格好になった。

先生は親に対して僕の文句を言うのかな?と思っていたら先生の口から出た言葉は思いがけないものだった。

「◯◯君は、とても成績が優秀です。まだ1年生で気が早いかもしれませんが目指せば県内一の進学校に入れると思っています。」


S先生は一言も親に対して僕の悪いことは言わなかった。

むしろ、僕を相当褒めた。勉強ができると。県内一の進学校に入れるだろうと。


家に帰って、僕は親に面談中の態度が悪いと怒られたが僕がS先生から褒められて親も悪い気はしなかったのだろう、説教はあっさり終わった。


10月頃からS先生の授業に異変が起きた。

以前よりも声が小さくなっていることに気付いた。

たまに疲れたような顔を見せることもあった。

最低な僕は

「ああ、やっと静かになったなあの野郎」と思った。


その頃には僕も気が済んでいたのでS先生に嫌がらせをすることもなくなっていた。



そして、中学1年生が終わり2年生に進級する時にS先生が教師を辞めることを知った。

非常勤講師を続けて教員採用試験を受けるという道もあるはずだが、地元の市役所に就職することになったらしい。


今となっては分かるが、市役所の試験はかなり遅い時期に行われるものもある。9月くらいまで募集をしているのはザラだ。

S先生はもしかしたら悩んだのかもしれない。

教員になるか市役所の職員になるか。

S先生が悩んだ原因はもしかしたら自分にあるのではないかとずっと考えている。

自分があんな嫌がらせをしなければ、S先生は今も生徒たちと楽しく笑顔で理科の授業をしていたかもしれない。

S先生の授業は本当に分かりやすくて楽しいものだった。


S先生は生徒を見る目もしっかりあった。

親との面談でS先生は僕に県内一の進学校に入れると思うと言った。

結局、僕はS先生が言った高校に進んだ。

他の先生たちがその高校に行ける!と僕に言ってきたのは中学3年生の秋くらいだ。

S先生だけが2年前から僕が進む高校を予見した。


僕はあの時のS先生の歳をすっかり追い越してしまったけど、今もS先生に謝れていないことが後悔として残っている。

本当に本当にごめんなさい。

あの時、最低なことをしたり、酷い態度を取ったりしてごめんなさい。

先生の授業はとても楽しくて分かりやすかった。

あなたは今も先生を続けていたら間違いなく素晴らしい教師になっていた。

ずっとずっと謝りたいと思っているけど、どこにいるかも分からないし、合わせる顔もない。


せめて、S先生の今の人生が幸せであるように。

そう願うことしかできない。


以上、僕の懺悔でした。















※この話はフィクションです。




そうだ、山に登ろう【御嶽山、日の出山】

土曜日の夜、僕は酒を飲みながら考えていた。

「あーあ、今日は1日暇だったのに無為に過ごしちゃったな……明日も1日暇。

このままだとまた無為な休日を過ごしてしまう……いいのか!?

嫌だ!!せっかく天気も良いのに!!どこかに行くぞ!!」


そう思った時には既に土曜日の夜9時。

さて、どこに行こうかなと思って一人でも行きやすそうな場所をいくつか考えた。

色々考えて二択まで絞った。


海の見える温泉か、景色の良い山。


そして、僕は

「そうだ、山に行こう」

決断した。


土曜日の午後11時だった。

そうと決まれば寝ないと!

僕は酒を流し込んで眠りについた。


ーーーーーーーーーー


日曜日、朝7時起床。


目的地は御嶽山と日の出山という2つの山にした。

まずは御嶽山を登って御嶽神社に行く。

その後、景色が綺麗に見えるという本命の日の出山に向かうプラン。



8時半、電車に乗り御嶽駅に向かった。



目的地に近づくにつれて、車内に登山客が増えてきた。

みんな山登りの格好をしている。 

僕は完全な私服。靴だけランニングシューズを履いてきてあとは完全な私服。

登山を舐め過ぎたか……?


そんな一抹の不安がよぎった。



10時、御嶽駅到着!


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雲1つない青空!

駅を出てすぐに山と流れる川の絶景!


御嶽駅から山の麓までバスが出ているけど、今回はバスを使わずに山の麓まで向かった。

距離は3キロほど。


しばらくテクテク歩いてると鳥居が見えてきた。

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山の麓まであと1.4キロという看板。

これであと半分かあ。余裕だな〜

と思って引き続き歩いて行った。


けど、後半から坂がキツすぎて後悔した。

バスに乗った方が良い。ほんとに。

山の麓に着く前に心が折れてしまう人もいるレベルの急な坂だった。



10時40分


ヒィヒィ言いながら坂を登り、やっと御嶽山の麓に辿り着いた。

ここは滝本駅という場所で、ここから御嶽神社までのケーブルカーが出ている。

並んでる人がめちゃくちゃいた。 

列が70メートルくらいはできてた。

クソ混雑。

おまけに中国語と英語と韓国語が飛び交ってる。

外人が登山者の全体の3割くらいいたイメージ。

コロナ自粛はもう終わったのか?

と思うレベルの外人の数。


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ケーブルカー?

僕は自分の脚で登ります!!!


登山の始まり。


正直、山の麓に来るまでで少し疲れたけど本番はここから!!


山に入ると、木に数字のプレートが

貼られていた。

最初は784、次の木は783……


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その次の木は782。

頂上までの木の本数だった。


正直、これは助かった。

木の数字を確認すれば、大体あとどのくらいで頂上か分かるから。


山を登ってる最中に服が汗だくになって、半袖のTシャツ1枚になった。

それでも息は切れるし、汗も止まらなかった。

すれ違う下山者が「こんにちは」と声をかけてくる。

疲れてる様子を見せるのは格好悪いと思って笑顔で爽やかに「こんにちは!」と返す。

見栄である。

まあ、これは下山してから気付いたんだけど、私服で山を登ってる時点でそこまで格好良くなかった。


11時半


遂に山を登り切り、御嶽神社に到着!!


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やっと休める〜〜!

と、思ったけどそんなことはなく

ここから階段をひたすら登った。

もうそれはひたすら階段を登りまくった。


てっぺんの賽銭箱に5円を投げ込んで

手を合わせながら

「2億円欲しいです!!!!!」と祈った。


明日あたりに2億円が手に入りそうでワクワクしている。


 12時


御嶽神社での参拝を終え、次の目的地である

日の出山に向かう。


山道の舗装がなくなり、気を抜けば転落してしまいそうなほど細い。

1番細い箇所は大人同士はすれ違えないくらいの細さだった。

多分デブは落ちる。

デブは行かない方が良い。 


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こんな感じ!


落ちないように恐る恐る進んでいく。


12時半


日の出山の山頂に到着!

標高902m!

自分の脚だけでここまで来れたことに感動を覚えた。

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そして、日の出山の山頂から見えた景色は……


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おおおおお!!!!

最高だった。

天気が最高だったことも相まってさらに最高だった。


この景色を見られて本当に良かった。 

そう思った。


30分くらい景色をボーッと眺めていた。

それなりに人はいたけど、激混みという程でもなかったから楽しめた。


景色を心ゆくまで楽しんだ後に下山。


もちろん、帰りもケーブルカーは使わず、所々小走りをしながら山を駆け下りた。


良い山登りだった!

御嶽山と日の出山、ありがとう!!

最高だった!!!!


※本当は高尾山に行くつもりだったけど、寝坊してしまい、混雑を避けるために今日の朝、今まで聞いたこともなかったこの2つの山を目的地に急遽変更したのはここだけの話にしてください。






有名人になるという夢を叶えた人

永田は小さい頃からずっと

「自分は普通の人間で終わりたくない。とにかく有名な人になりたい。」と思ってきた。


永田は高校卒業後に多くの大御所芸人を輩出しているお笑いの事務所に進んだ。


15年後、苦労は多かったが永田は遂に有名なお笑いのグランプリを取り、テレビに引っ張りだこ。一躍有名になった。


永田は有名になりたいという夢を叶えた。


それからの永田の日々は小さい頃からずっお夢見ていたものになった。

街で見知らぬ人からサインや写真を求められる。

テレビに出れば、Twitterのトレンド入りをする。

金だってたくさんもらえる。

俺は勝ち組になった!!

永田はそう思った。



しかし、そう甘くはなかった。

永田の持ちネタが世間から飽きられるのにそう時間はかからなかった。


1年後には、グランプリを取った直後と比較してテレビ出演の依頼は激減していた。

あったとしても番組内で注目を浴びるのは自分ではなく他の芸能人。


永田は「このままだと干される」と思い

新しいネタを考えた。


しかし、なかなかウケずにどんどん仕事が減っていった。


このままだと有名な自分でなくなってしまう。

せっかく有名になれたのに。

永田の精神はどんどん追い込まれていった。


「なんとか……なんとかして、また有名に……世間の注目を集めたい……そうだ!!!これしかない、もう俺に残された道は……!」


永田は大量殺人事件を起こした。


「お笑い芸人が大量惨殺!」「人気だったお笑い芸人はサイコキラーだった!?」という見出しがあらゆる新聞の一面を飾り世間を大いに賑わせた。

これで俺はまた有名になれた。

有名になれたんだ。


永田は新聞記事を読み、独房でニヤニヤと笑った。