欲求の変遷
いつからだろう。「〜〜したい」と思うよりも、「〜〜したくない」と思うことが増えたのは。
休日は仕事がなくて、自由でまとまった時間が取れる。
労働で体と心を消耗し切って向かえる休みは何にも代え難い喜びである。
だけど、休みにやりたいことはほとんどない。
僕は休みの「仕事をしなくてもよい」というところに喜びを見出しているだけなんだ。
そして、休みが終わる日の夜には決まっていつもこう思う。
「明日、仕事行きたくないな。働きたくないな。」
出勤したくない。仕事をしたくない。という回避欲求が先行する。
「じゃあ、仮に明日休みだとしたら何がしたい?」と聞かれると返答に困る。
僕は仕事をしたくないだけで、何かをしたいわけではないのだから。
昔はもっといっぱいやりたいことがあったと思う。
休みになったらアレをしよう。コレをしよう。と回避ではなく、何かを求める欲求が強かった。
どうして何かから逃げたい欲求が増えたのだろうか。
何かを求めるためには行動が不可欠になる。
行動するというのは体力や気力を使う。
労働で体と心を日々消耗しているから、欲求を叶えるための行動に必要なものを使い切っているんだと思う。
労働が全部悪い。
回避するだけの欲求しか持てなくなったのは労働が全部悪い。
競馬場にはヤバい世界が広がっている
2/24、僕は有給休暇を取った。
労働への反抗である。
有給休暇の朝の空は晴れやかで、いつもより世界が輝いて見えたのは気のせいではないだろう。
せっかくの平日休み、普段はできないが前々からやりたかったことを実行することに決めた。
競 馬 場 に 行 く ! !
競馬といえば、中央競馬が一般的である。
僕は家を出て、片道1時間近くかけて浦和競馬場へ向かった。
……競馬場で待ち受けている様々な出来事のことなんか露知らずに。
到着!!
10時過ぎの到着だったので、まだ第1レースに間に合う時間だった。
競馬場に来るとめちゃくちゃワクワクしてきた。
ただ、興奮して大金をぶち込んではいけない。
「レースは全部で12レースもあるんだ。
最初からぶっ飛ばすのは間違いだ。落ち着け僕……」と自分に言い聞かせる。
〜第1レース〜
負け。
普通に負け。
まあ、最初だから仕方ない。
切り替えていこう。
〜第2レース〜
また負け。
かすりもしない。
大きく狙うのは良くないなと思い、堅実な馬券を買う作戦に切り替えた。
〜第3レース〜
複勝というガチガチの馬券を買って、今日初的中!
初当たりで少し嬉しくなったときに、僕は見てはいけないものを見てしまった。
後ろを振り返ると
呆然と立ち尽くしているおじさん。
ボロボロのコートが哀れな様子に拍車をかける。
おじさんが手には馬券が握られていた。だけど、ぼくは見なかった。
見てはいけないと悟った。
何やらブツブツ言っている。
これもまた、競馬の怖さだ。
普段ネットで馬券を買っていると見ることができない生々しい怖さ。
〜第4レース〜
哀れなおっさんを見たら心がしんどくなったし、ちょうど12時くらいだったからお昼ご飯を食べることにした。
第4レースは見送って、次のレースの情報を見ながらパンを胃に詰め込む。
僕もまた哀れなおっさんなのかもしれない。
〜第5レース〜
馬券を買いに行こうとしていると、帽子を被ったいかにもギャンブラーという風貌のおじさんに話しかけられた。
「よお、兄ちゃん!次のレースは堅いよなあ」
あまりにもフランクで一瞬知り合いかと思ったけど、知らない人だった。
おじさんはなおも話し続ける。
「このレースは11番で決まりだよ!簡単なレースだ」
自信満々に話し続けるおじさん。
だけど、僕もパドックで馬の様子を見て、11番が良く見えたので
「やっぱり11番が良かったですよね!」と返す。
「お、分かってるね兄ちゃん!あとは何を買うの?」
笑顔で話しかけてくるおじさん。
本命馬が一致したことで僕も話しやすくなった。
「後は、4番を買おうかなって思ってます。(4番のメイショウハヤナリという馬は僕がウマ娘で大好きなマヤノトップガンの孫だった)」
すると、おじさんは
「4番!?!?やめときなよ、あれは走らない。長年の経験で分かる。11番の次に良いのは2番だよ。あと、12番も悪くないな」と言い残して去って行った。
僕は揺らいだ。
確かにマヤノトップガンの孫という理由だけで馬券を買うのは違う気がした。
それよりも、長年競馬をやっているおじさんがくれたヒントを活かした方が良いのでは……??
そして、馬券の販売締め切り時刻が迫る。
僕は悩んだ末にこの馬券を購入した。
謎の競馬おじさんを僕は信じることにした。
こういう時は先人のアドバイスを頼るのが吉だろう。
そして、第5レースのゲートが開いた。
緊張しながら僕はレースを見守っていた。
結果は……
クソジジイーーーーーーー!!!!💢💢💢💢💢💢😭😭😭😭
マヤノトップガンーーーーー!!!!!😭😭😭😭😭😭
信じなくてごめん。
ごめん。本当にごめん。
マヤの孫は頑張ってた。
信じられなかった自分が悪い。
第6レース、第7レースはボーッと見てた。
予想をする気力もなかった。
でも、青空の下で馬が走ってるのをボーッと眺めるのは悪くない。
少しずつ元気が戻ってきて、次のレースあたりは馬券買おうかなと思いつつ、観戦していると、隣に競馬場には似つかわしくない上品な服装の老夫婦が立っていた。
「あの人たちが競馬……?そうか、定年したけど、やることがないから近所の競馬場で暇潰ししてるのか。きっと少額で楽しんでるんだろうな」と僕は思った。
「サセーーーー!!!💢💢」
その瞬間、隣から大声が聞こえた。
上品な老夫婦のマダムが叫んでいた。
僕は自分の思い違いに気づいた。
あの熱量は、何千円じゃ出せない。何万。
いや、下手するともっと……
それくらいの金がかかっていることを思わせる渾身の叫びだった。
叫びを聞いているうちに疲れてしまい、次のレースに賭ける気力もなくなった。
気付けば太陽がかなり西に傾いていた。
帰ろう……なんだか、とっても疲れた……
ヤバい世界を垣間見た体験による疲労感と身体の重さを感じながら、僕は競馬場を後にした。
軽くなったのは財布だけ。
競馬場にはヤバい世界が広がっていた。
35歳フリーターの1日
ウマ娘がきっかけで競馬沼にハマったオタクの馬券年間収支
どうも、ウマ娘がきっかけで今年4月から競馬を始めてしまったオタクです。
可愛い。本当に可愛い。
↓
まあ、実はウマ娘に飽きてしまい、今はほぼやってないんだけどね……
それなのに競馬だけはやり続けてる最悪なオタクになってしまった。
年末なので、競馬のけの字も知らなかったオタクの4月から12月までの収支を公開するぞーーー!!
ご覧あれ
ーーーーーーーーーーーーー
4月
投資 6000円
回収 370円
回収率 6.16%
競馬を始めたが、何も分からない。
騎手もコースの特徴も分からない。ギリ知ってたのは、「中山の直線は短いぞ!」(←ウマ娘ユーザーは脳に刷り込まれるやつ)
当然、何も当たらない。
この時はワイドとかいう買い方も分かってなかった。
5月
投資 14000円
回収 2040円
回収率 14.6%
日本ダービーで6000円の大きめの勝負をした。
本命はエフフォーリア。
当然勝つと思ってたら、完全にノーマークのシャフリヤールにクビ差で負け……
膝から崩れ落ちた。クビ差なんて読めないわ……
もうデカく賭けるのはやめようと思った。
6月
投資 9700円
回収 2780円
回収率 28.7%
全然当たらない。
この頃から自分は競馬に向いていないことを薄々と感じ始めていた。
結果として、JRAの養分として過ごした春のG1シーズンだった。
そして、舞台は予想が難解になると言われている夏競馬へと向かう……
7月
投資 28000円
回収 34430円
回収率 122.9%
僕の運命を分けたのは、ジャパンダートダービーだった。
平日に開催されるレースだったからよく分からなかったけど、友達にそのレースの存在を教えてもらった。
そこにマヤノトップガンの孫、キャッスルトップという馬が出ることを知り、絶対買うことを決意していた。
なぜなら、マヤノトップガンは可愛いから!!
キャッスルトップは13頭中の12番人気だったが、関係ない!可愛いので。
そして、キャッスルトップは、人気薄ながら大逃げを見せて1着でゴール板を駆け抜けた。
「え……?一着……??」レースを見ていたが、理解が追い付かなかった。
400円が30000円近くになった。
マヤノトップガンとジャパンダートダービーの存在を教えてくれた友人に感謝。
まあ、7月の後半負けまくったので、ちょいプラスくらいに落ち着いたわけだけども。
8月
投資 8900円
回収 11100円
回収率 124.7%
4月から負けまくってたのは賭け方が悪いのではないかと思い始めてきた。
これまでは、ずっと3連複5頭Boxが主流の買い方だったが、3着を外すことが多かった。
裏を返せば、1、2着は当ててることが多かった。
これが良かったみたいで、8月も回収率はプラスになった。
9月
投資 14515円
回収 19170円
回収率 132.1%
やっぱり僕に3着を当てるのは無理だったみたいだ。
9月、1番の大きな当たりはセントライト記念。
9番人気の人気薄から1着に飛び込んできたアサマノイタズラ。
2着の馬を軸にして広めに買っていた僕は馬連
を当てた。
3ヶ月連続のプラス収支。
僕は完全に競馬が分かったと思った。
来月から本格的な秋のG1シーズン開幕だ。
4〜6月の負けを取り返すぞ!!と熱く意気込んでいた。
ちなみにもうウマ娘は全くやっていなかった。
ただただ競馬に夢中になっていた哀れなオタクに過ぎなかった。
10月
投資 14500円
回収 3430円
回収率 23.6%
負けを取り返そうと意気込んだ秋のG1開幕。
ことごとく負けた。
それはもうめちゃくちゃに負けた。
買っても買っても当たらない。
競馬は甘くなかった。
とても苦しい1ヶ月だった。
感動的な走りだった。
絶対エフフォーリアは次も買おうと決めた。
11月
投資 13930円
回収 7370円
回収率 53.1%
ショックで11月上旬は全く馬券を買わなかった。
11月下旬、平日休みが取れて地方競馬場に行った。
生まれて初めての競馬場。
パドックを見て、紙馬券を買い、実際に走る馬を見て改めて
「競馬は面白いな」と再認識した。
12月
投資 27000円
回収 33220円
回収率 123.0%
記憶に新しい、有馬記念。
エフフォーリアが出ると聞いた時点で1着はほぼ間違いないと思った。
買い方をどうするか。
直前まで悩んで、エフフォーリア軸の3連複6000円、馬連4000円を買った。
10000円をぶち込むのは初めてだった。
結果はエフフォーリアが1着。
本当に強かった。
だけど、固めの決着でトリガミ……
僕は有馬記念で7000円近く失った。
大人しくエフフォーリアの単勝を買っておけばよかった。
後悔は止まらない。
それでも、エフフォーリアの激走は震えたし、7000円くらいであの気持ちを味わえたならそこまで悪くはなかったなとも思う。
興奮冷めやらぬ僕はホープフルステークスにも単勝と馬連合わせて5000円をぶち込み15000円くらいになった。
次の日の東京大賞典でも5000円をぶち込んでプラスになった。
ちなみに東京大賞典は馬単を買って当てたが、欲が出て、3連単を買おうと悩んでたときもあった。
3着に来た馬は切ってたから、3連単で買ってたら負けてた。
やっぱり、僕は3連系の馬券は無理ということを再認識した。
12月の後半はほぼ本命馬が1着に来て調子が良かったと思う。
ーーーーーーーーーーーーーー
総括
年間総投資 136515円
年間回収 113910円
年間回収率 83.4%
年間収支グラフは下のとおり。
当然のように負けている。
やっぱり今年のぼくはJRAの養分だった。
とは言え、競馬はギャンブルという面もあるが、スポーツなんだと思うシーンも数多くあったので楽しかった。
来年も競馬は続けていこうと思うし、現地でも応援したい。
まあギャンブルじゃなくスポーツと言いつつも、来年こそ、回収率100%超えを目指したい!!
幸せ採点マシーン
20××年、日本では少子化がかつてないほど加速し、それに伴い単身世帯が増加していった。
そうは言っても、人間は本来社会的な動物である。
独りでいることを寂しく思い、SNSを利用する人が相当数増えた。
もはや、SNSは人々の生活とは切っても切れないものになっていた。
憲法では人間は皆平等と謳うが、残酷なことにSNSはそうではない。
フォロワーが多い人間、所謂インフルエンサーの発言は注目され、そうでない人間の発言は無視される。
インフルエンサーの日々の発言は煌びやかで派手なものばかり。
そんな発言をシャワーのように浴びている大多数のSNSユーザーは自分の過ごしている日常を不幸だと嘆くようになった。
不幸感は社会に影響を及ぼし、世界的に発表される各国の幸福度ランキングで、日本はグングン順位を下げていった。
「このままではいけない」
そう思った幸福な世界を望む人間はあるアプリを開発した。
その名も、「幸せ採点マシーン」
アプリの内容もその単純なネーミングのとおりだ。
AIがアプリの使用者に質問をする。
「貴方は飲みたい時に水が飲めますか?」「今日は、何回笑いましたか?」「何時間眠れましたか?」というような日常生活に関連する質問に答えていく。
そうすると、その回答を世界的な状況や利用者の回答の比較から、幸せ度に点数を付けるアプリだ。
開発者は「日本を幸せの国にしたい!という願いを込めてこのアプリを作った」と話した。
このアプリは流行りに流行った。
日本で不幸だと感じている人たちも軒並み、100点満点中75点以上は出る。世界的な平均は60点くらいだ。
そして、採点後に貧困地域での映像や実情が生々しく映し出される。
そういったものを見ているうちに、そもそも、衣食住が保障されている時点で幸せなんだと人々は思い始める。
さらに、SNSでのインフルエンサーたちが続々と幸せ採点マシーンの結果を投稿するという動きも追い風になった。
一般的な日本人とほぼ変わらない点数の人がほとんどだったからだ。
実は彼ら彼女らの生活は全てが幸せというわけでもない。
SNSでの発言は良いところを切り取っているだけということがほとんどだった。
アプリは4000万ダウンロードを超えた。
AIは4000万人分の日常生活を把握した。
開発者は幸福な国を望んでAIを設計した。
AIはその意図を理解していた。
そして、幸せ採点の歯車が狂い始める……
死にたいくらいつらい状況の人間でも90点以上がポンポン出るようになった。
「貴方は職場で上司にパワハラを受けている?それは幸せです!なぜなら、仕事があるから!世界では働きたくても働かない人がたくさんいます!貴方は幸せです!!」
「学校でいじめられている?それは幸せです!なぜなら、学校に通えて、しかも他者に存在を認知してもらえているから!!世界には学校に通えず、誰からも相手にされない人がたくさんいます!貴方は幸せです!!」
「父親から虐待を受けている?それは幸せです!なぜなら、父親がいるから!世界には父親を知らない人がたくさんいます!貴方は幸せです!!」
「ストーカーに付き纏われている?それは幸せです!なぜなら、人に好意を持たれているから!世界には愛に飢えた人がたくさんいます!貴方は幸せです!!」
いかなる回答を入力しても繰り返される
貴方は幸せです!!
貴方は幸せです!!
貴方は幸せです!!
「僕は幸せ…幸せ…」とブツブツ言い続ける精神病者が急増した。
社会問題になり、幸せ採点マシーンはサービス終了になった。
人々の心の中に「本当の幸せとはなんだろう」という大きな問いかけを残したまま。
そうだ、山に行こう〜塔ノ岳バカ尾根へ〜
11月3日、文化の日。祝日である。
こんな感じにダラダラしていたい気持ちもあったが、それではあまりにも勿体ない。
「そうだ、山に行こう」
11月2日、23時に決意した。
ちなみに僕はほとんど登山をやらない。
年に一回くらい、低山に登るレベルだ。
まずはどの山に行くかを考えないとな、と思い、関東近郊の山を調べてみたら面白そうな山を見つけた。
「……バカ尾根!?!?」
バカ尾根というあまりにも強烈なインパクトのワードに惹かれてしまった。
ここに決定。少々キツいというワードが引っかかったが、バカ尾根への好奇心には勝てなかった。
「多少キツくても、まあ、体力あるから大丈夫でしょww」
完全に舐めていた。バカは尾根じゃなくて僕。
そして、朝6時に起き、家を出て、眠い目をこすりながら電車に揺られること1時間半ほど……
着 き ま し た !!!
バカ尾根が呼んでいる!!!
僕は山に早足で向かった。
バカ尾根の登り標準タイムは3時間くらいという情報を得られたので、せっかくならそれよりどのくらい早く登れるか試してみることにした。
車が通る道がここで終わり、本格的な山道へと変わる。
塔ノ岳まで6.4㎞
ーー鍛錬が始まった。
天気も良く、歩きやすかったため、山を軽快に登っていく。
それなりに飛ばしていた僕の様子を見て
途中で何十人かの方に道を譲ってくれた。
何度も「すみません」と「ありがとうございます」を言った気がする。
山登りする方は心優しい方が多い。
本当にありがとうございました。
しばらく登っていると、バカ尾根の紹介サイトに載っていた線路道を見つけた!
これには思わずテンションが爆上がり!!
僕が、山の新幹線だと言わんばかりに駆け抜けた。
そして、登り続けること1時間ちょっとすると、こんな看板が
塔ノ岳まで2.8㎞!?
もうそれしかないの!?
「3時間なんてかからないじゃんww2時間も切れそうだな余裕余裕🎵」
調子に乗ってペースを上げて登っていく。
この間にも数十人の登山客に道を譲って頂きました。
誰にも抜かれることなく軽快に登っていく僕。極めて順調だった。
しかし、登山はそんなに甘くなかった……
突然、右足のふくらはぎに攣ったような痛みが一瞬走った。
その直後、左足のふくらはぎにも攣ったような痛みが走った。
両足のふくらはぎが悲鳴を上げ始めていた。
仕方ないので、ペースを落とした。
足を攣って、歩けなくなったり、山から落ちたりする最悪の事態を避けるために。
ふくらはぎを庇いながらペースを落として、厳しい坂道や階段を登っていく。
やっと目的地までの距離を示す看板が見つかった。
あと1.8㎞……
足に違和感がなければ大したことがない距離だけど、今はその1.8㎞が遥か遠くに感じられた。
ふくらはぎを庇いながら登っていくと、当然その分他の部分に負担がかかる。
今度は太ももの前面に攣ったような痛みが走った。
慌ててストレッチをしたが、治っても数歩歩くとまた激痛が走る。
太ももを庇うとふくらはぎや膝が痛む。
もう普通に歩くことができなくなっていた。
他の登山客が後ろから来たので道を譲りまくった。おじいさんにもおばあさんにもどんどん追い抜かれる。情けない。
最後の力を振り絞って頂上近くの山小屋に到着した。
この変哲のない山小屋が光り輝いて見えた。
やっとゴールだ!
達成感がジワリと湧いてくる。
しかし、これは罠だった。
てっきりもうすぐ頂上だと思ったぼくは、山小屋の近くにある看板を見て地獄へと叩き落とされた。
「塔ノ岳まであと0.8㎞」
終わった。無理だ。
ショックすぎてその看板の写真を撮り損ねた。
一歩歩くだけで足が攣った時と同じくらいの痛みが両足に走る。
山小屋でたくさん休んでのんびり行こうかとも考えた。
だけど、始めにぼくはタイムを狙っていくと決めた。
残り0.8㎞まで来た時点で登山開始から1時間50分ほどが経過していた。
もう2時間以内では登れないだろう。
だけど、12時までには山頂に着きたい……(この時、11時半)
地獄が、始まった。
ちなみに山頂まであと少しの地点では、霧が立ち込めていて、山も地獄のような雰囲気を醸し出していた。
ーーーーーーーーー
残りの800mは酷いものだった。
太ももが常に攣っているような状態で歩き続けるのは、今まで経験がなかった。
歯を食いしばりながら登った。
たくさんの人に追い抜かれた。
酷い顔をしていたと思う。
「攣っていても歩ける。攣っていても歩ける。攣っていても歩ける」笑いながらブツブツと呟きながら登った。
人間は痛過ぎると笑うようにできている。
笑うことで痛みを軽減させるための防衛本能なのかもしれない。
限界はとっくに超えていた。
そして、遂に……
山頂!!!!!!
11時58分着!!!!!
執念で12時までに頂上に着いた。
登りのタイムは2時間半くらいで、3時間というタイムは切れたけど後半にペースが落ち過ぎたので悔しい……
苦労して登った地上1491mの景色は格別だった!
まあ、しばらく動けなくて山頂で死んだように座っていたので、景色はあんまり見れなかったんだけど……っていうのはここだけの話。
山頂でしばらくぶっ倒れた後、山小屋でカップラーメンを食べた。
温かいものが食べられてありがてぇ……
しかもカップラーメンは水分とカリウムとナトリウムを補給できる。
この3つを補給すれば多少は足の攣りを抑えることができるので、普段は飲まないスープまで全部飲んだ。
全ては下山のために……!
ーーーーーーーーーーーーー
カップラーメンの効果もあったのか、下山中は足が攣ることはなかった。
しかし、下山中にも事件が起きた。
砂利の下り道で盛大に滑り落ちて「ウワーーーーー!!」と声が出てしまった。
死ぬほど恥ずかしい。
すると、近くにいた山登り慣れしてそうなおばちゃんが
「大丈夫?砂利道を下るときはね、真っ直ぐじゃなくてジグザグに降りていくと安全だよ」と教えてくれた。
本当に感謝。山登りをする方は優しい。(2回目)
おばちゃんから教わったやり方でスイスイと下山していく。
下山中にあった山小屋で気になるものを見つけた。
牛乳プリンだーーー!!!
即買い。疲れた体に沁みた。
牛乳プリンで元気をもらい、下り続けた。
……下山、完了!!
下山は疲れでペース上がらなかったけど、2時間弱だったから登りよりも相当早かった。
もう汗だくで身体はボロボロになっていた。
そんな僕を優しく迎えてくれる場所がある。
それは……
そう!!サウナだ!!
塔ノ岳の最寄駅近くにある湯花楽さん。
疲れた身体に風呂とサウナは最高でした。
今日は突然の登山だったけど、実は1000m以上の山を登ったのは初めてで、めちゃくちゃキツかった……
バカ尾根はバカみたいにキツかったけど、道はきちんと整備されてて安全だったし、山登りをしている方は優しい方が多いので、登山初心者は是非チャレンジしてみてください!!
足の限界を迎えるまで鍛錬した先に得られる達成感を手に入れましょう!!
挑戦者の傍らで
高校2年生の頃、僕よりも勉強できない人間が休み時間の教室内で高らかに宣言した。
「俺、東大に入る!!!」
僕は驚きと共にこいつは馬鹿だな、と思った。
彼の成績はお世辞にも良いとは言えない。
東大はおろか、MARCHすらギリギリいけるかどうかというレベルだった。
事実、彼は3年生になって受けた最初の模試で東大E判定を叩き出した。
ほらみろ。と僕は思った。
一方僕は、第一志望の大学はA判定だった。
家から通えて学力レベルも丁度良い中堅私大を志望していたので、このレベルなら受かるだろうと踏んでいた。
そして迎えた受験の日。
東大を志望した彼は、予想通りに落ちた。
最後の模試はC判定まで持ってきていたらしい。
悔しさで卒業式の日も涙を滲ませていた。
僕は何も問題なく最初から志望していた中堅私立大学合格。模試はずっとA判定で余裕といえる合格だった。
春から晴れて大学生になることが決まった。
だだ、僕は別に大学に入って大層なことをやろうとしていたわけではない。
大学に行った方が就職の幅が広がると思ったから。それだけだった。
それなりに勉強したり、友達と遊んだりしているうちにあっという間に大学2年生になった。
高校時代、東大に落ちて卒業式の日に泣いていた奴が1浪して東大に受かったと聞いた。
高校生の頃は僕の方が成績が良かったはずなのに。と一瞬思ったが、すぐに奴のことは忘れてしまった。
そして僕の大学生活はその後もダラダラと続き、気が付けば大学3年生。
就活を考え始める時間になっていた。
大学の友達もインターンシップに行ったり、業界研究をやったりしているようだった。
僕もそろそろ就活の準備をしなければならない。
まず、うちの大学の学部からどのような会社に就職しているかを調べてみた。
1番多かったのは準大手の建設会社。2番目は準大手の食料品製造会社。3番手は中小金属加工業。
この3社なら充分に内定が出る見込みがある。
これらの会社を軸に就活をしようと僕は決めた。
大学4年生になり、就活が解禁。
友達たちが就活を始めている中で、1人だけ就活をしていない奴がいた。
「俺は就活なんかしない!自分で会社を作るんだ!」飲み会の席でそう語っていた。
今は個人でwebデザイナーの仕事をしていて、わりと依頼もあるらしい。
自分の事務所を構えて企業するみたいだった。
リスクがデカすぎる。仕事がいつもあるわけではないのに。僕は友達として彼が心配だったが、彼の目は本気で、やんわりと止めても聞く耳をもたなかった。
大学4年生の夏、僕は第3志望だった金属加工業の会社から内定をもらった。
やっと就活が終わり、卒業研究もなんとか終わらせた。
こうして僕の大学生活は終わった。
僕は社会人になってからも大きな問題を起こすことなく仕事を続けていった。
時には理不尽なことで叱られ、嫌な思いをすることもあったが、転職する勇気もスキルもなくて会社にしがみついていた。
そんな生活がしばらく続き、入社15年目に事件が起こった。
僕の会社が大会社に買収されることになり、人件費削減のために退職勧告が出された。
退職を断ると僻地に飛ばされる。事実上のリストラのようなものだった。
僕の会社を買収した大会社のことを何気なく調べてみると、取締役の1人に見覚えのある名前があった。
「こいつは……!」
高校時代に東大に行くと宣言した奴だった。
僕の会社はこいつが役員を勤める会社に飲み込まれる。
かつて同じ教室で過ごしていた奴がいる会社に。
数十年というのは差が付くには十分な時間だった。
退職をしても何もできる仕事はないので、僕は会社に残ることを決めた。
僻地の勤務でも無職になるよりはマシだと考えたからだった。
そんな時、大学の友人達から久しぶりに飲まないか?と誘われた。
特にやることもなかった僕は参加することにした。
10年ぶりくらいに会う友達はみんな歳相応になっていて、色んな人生を送っていた。
そこで大学時代にwebデザイナーとして企業をした友達と再会した。
彼は何度か倒産の危機があったが、危機を乗り越えて今では経営が軌道にのっているらしい。
僕は彼に退職勧告を受けていることを打ち明けた。
そして、酔いもあってか、自分を雇って欲しいとつい話してしまった。
彼は僕にこう言った。
「友達がそんな状況だから雇ってやりたい気持ちはある。だけど、お前にwebデザインのスキルはあるか?何か得意なことがあるか?なければ申し訳ないが雇うことはできない」
僕はそんなスキルを持ち合わせていなかった。
飲み会が終わり、家に帰る。
友達と会って僕は自分には何もないことに気付いた。
スキルもそうだし、できるかどうか分からない何かに挑もうとしたことも、積極的に挑戦したことも。
大学受験も就活も、さほど頑張らず実現可能な所ばかり受けていた。
気付けば30代も終わりそうになっているのに僕は空っぽだった。
確かに挑戦する人間にはうまくいかないリスクが付きまとう。
だけど、自分みたいに何にも挑戦しない人間は問題外だ。
昔の自分を激しく責め立てたところで現状は変わらない。
僕はこれから僻地で働くことになる。
おそらく待遇も悪くなるだろう。
でも、これが自分が今まで何にも挑戦しなかった報いだ。
気付いたら僕は泣いていた。
いくら泣いても挑戦しなかった時間は戻らないのに。