挑戦者の傍らで

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高校2年生の頃、僕よりも勉強できない人間が休み時間の教室内で高らかに宣言した。

「俺、東大に入る!!!」

僕は驚きと共にこいつは馬鹿だな、と思った。

彼の成績はお世辞にも良いとは言えない。

東大はおろか、MARCHすらギリギリいけるかどうかというレベルだった。


事実、彼は3年生になって受けた最初の模試で東大E判定を叩き出した。

ほらみろ。と僕は思った。

一方僕は、第一志望の大学はA判定だった。

家から通えて学力レベルも丁度良い中堅私大を志望していたので、このレベルなら受かるだろうと踏んでいた。


そして迎えた受験の日。

東大を志望した彼は、予想通りに落ちた。

最後の模試はC判定まで持ってきていたらしい。

悔しさで卒業式の日も涙を滲ませていた。


僕は何も問題なく最初から志望していた中堅私立大学合格。模試はずっとA判定で余裕といえる合格だった。


春から晴れて大学生になることが決まった。

だだ、僕は別に大学に入って大層なことをやろうとしていたわけではない。

大学に行った方が就職の幅が広がると思ったから。それだけだった。


それなりに勉強したり、友達と遊んだりしているうちにあっという間に大学2年生になった。

高校時代、東大に落ちて卒業式の日に泣いていた奴が1浪して東大に受かったと聞いた。

高校生の頃は僕の方が成績が良かったはずなのに。と一瞬思ったが、すぐに奴のことは忘れてしまった。


そして僕の大学生活はその後もダラダラと続き、気が付けば大学3年生。

就活を考え始める時間になっていた。


大学の友達もインターンシップに行ったり、業界研究をやったりしているようだった。

僕もそろそろ就活の準備をしなければならない。


まず、うちの大学の学部からどのような会社に就職しているかを調べてみた。

1番多かったのは準大手の建設会社。2番目は準大手の食料品製造会社。3番手は中小金属加工業。

この3社なら充分に内定が出る見込みがある。

これらの会社を軸に就活をしようと僕は決めた。


大学4年生になり、就活が解禁。

友達たちが就活を始めている中で、1人だけ就活をしていない奴がいた。

「俺は就活なんかしない!自分で会社を作るんだ!」飲み会の席でそう語っていた。

今は個人でwebデザイナーの仕事をしていて、わりと依頼もあるらしい。

自分の事務所を構えて企業するみたいだった。


リスクがデカすぎる。仕事がいつもあるわけではないのに。僕は友達として彼が心配だったが、彼の目は本気で、やんわりと止めても聞く耳をもたなかった。


大学4年生の夏、僕は第3志望だった金属加工業の会社から内定をもらった。

やっと就活が終わり、卒業研究もなんとか終わらせた。


こうして僕の大学生活は終わった。



僕は社会人になってからも大きな問題を起こすことなく仕事を続けていった。

時には理不尽なことで叱られ、嫌な思いをすることもあったが、転職する勇気もスキルもなくて会社にしがみついていた。


そんな生活がしばらく続き、入社15年目に事件が起こった。

僕の会社が大会社に買収されることになり、人件費削減のために退職勧告が出された。

退職を断ると僻地に飛ばされる。事実上のリストラのようなものだった。


僕の会社を買収した大会社のことを何気なく調べてみると、取締役の1人に見覚えのある名前があった。

「こいつは……!」

高校時代に東大に行くと宣言した奴だった。

僕の会社はこいつが役員を勤める会社に飲み込まれる。

かつて同じ教室で過ごしていた奴がいる会社に。

数十年というのは差が付くには十分な時間だった。


退職をしても何もできる仕事はないので、僕は会社に残ることを決めた。

僻地の勤務でも無職になるよりはマシだと考えたからだった。


そんな時、大学の友人達から久しぶりに飲まないか?と誘われた。

特にやることもなかった僕は参加することにした。


10年ぶりくらいに会う友達はみんな歳相応になっていて、色んな人生を送っていた。

そこで大学時代にwebデザイナーとして企業をした友達と再会した。

彼は何度か倒産の危機があったが、危機を乗り越えて今では経営が軌道にのっているらしい。


僕は彼に退職勧告を受けていることを打ち明けた。

そして、酔いもあってか、自分を雇って欲しいとつい話してしまった。


彼は僕にこう言った。

「友達がそんな状況だから雇ってやりたい気持ちはある。だけど、お前にwebデザインのスキルはあるか?何か得意なことがあるか?なければ申し訳ないが雇うことはできない

僕はそんなスキルを持ち合わせていなかった。


飲み会が終わり、家に帰る。

友達と会って僕は自分には何もないことに気付いた。

スキルもそうだし、できるかどうか分からない何かに挑もうとしたことも、積極的に挑戦したことも。

大学受験も就活も、さほど頑張らず実現可能な所ばかり受けていた。

気付けば30代も終わりそうになっているのに僕は空っぽだった。

確かに挑戦する人間にはうまくいかないリスクが付きまとう。

だけど、自分みたいに何にも挑戦しない人間は問題外だ。


昔の自分を激しく責め立てたところで現状は変わらない。

僕はこれから僻地で働くことになる。

おそらく待遇も悪くなるだろう。

でも、これが自分が今まで何にも挑戦しなかった報いだ。


気付いたら僕は泣いていた。

いくら泣いても挑戦しなかった時間は戻らないのに。